摩訶レコードブログ

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摩訶レコード:オバQ万博へ行く

僕は藤子不二雄さんの作品では「オバケのQ太郎」が一番好きです。
そんなオバQ関連の曲がレコードで出ていました。
石川進さんが歌う「オバQ万博へ行く」です。

 

石川さんは1965年に放送開始のオバQの主題歌も歌われていましたが、
その流れなのか、1970年に開催された万博の事を歌ったこの曲でも
歌唱を取っているんですね。

 

リリースが1967年となっていますので、万博の開催前のリリースなんですね。
A面がボニー・ジャックスの「世界の国からこんにちは」ですが、
有名な三波春夫版と同じ曲です。

 

作詞:東京ムービー企画部、作曲:広瀬健次郎
アニメを制作した東京ムービーの方々が作詞をされており、またオバQ関連の曲を
数多く作曲された広瀬さんの作曲となっています。

 

1965年版のオバQの主題歌に曲調は似ていますね。
歌詞のほうは、Q太郎が万博会場を巡ってくたびれてレストランで食べ放題したり
パビリオンに驚いたりといったもので、なかなか愉快です。

それから

ごめんなさい、前回の続きというか、「それから」という感じです。

様々な手続きやら整理やらで5日間くらい苦労していました(継続中)。

 

銀行、生命保険、介護保険料、年金、新聞、クレジット、などなど。
訪問客の相手もしないとだし。
香典を集計したり、そろそろ香典返しも考えなくてはいけません。

 

電気、ガス、水道に関しては、送られてくる請求明細が無いものがあり、
「お客様番号」というものが判らず、手続きが出来ない事があります。
なので、最新のものだけは捨てずに取っておくほうが賢明ですね。

 

衣類などはほとんど捨ててます。
『普段着ないのに、なんでこんなにあるんだよ。』と思うほど、
大量に出てきます。

 

使っていて不要になった電化製品は、テレビは僕の部屋のものと取り替え。
43インチのテレビなので迫力がありますね。
その反面。部屋が狭くなりました。
他は売り払いましたが、たいしたお金にはなりませんでした。

 

生命保険は入りますが、葬儀費用等を差し引けば対して残りません。
焼け太りで車買っちゃったよ。』なんて方もいるのでしょうが、
とてもじゃないけど、そこまで残らないです。
それでも多少は残るだろうから、「頑張ってる自分へのご褒美」的な感覚で
欲しいレコードをオクで見つけて落札しています。

 

仕事には復帰しましたが、ふと考える事は『今晩何作って食おうか?』ですね。
コンビニ飯でも良いのですが、自炊のほうが安上がりな気がして。
これが結構楽しいのです。
色々なサイトで料理を勉強して実践しています。

母、永眠

2022年8月8日 午後17時5分に、母親が永眠いたしました。

 

この5日間の出来事を備忘録も兼ねて書いてみます。
かなり長文になりますので、興味ない方はお帰りになって結構ですが、
多少なりともここを訪れた方の参考等になれば、と思って書く事にしました。

 

午後18時40分頃に仕事から帰宅し、台所に行った所、母親が座り込んで
倒れており、声を掛けても返答が無く、救急に連絡したところ、
寝かせて心臓マッサージを行ってくれとの事。
救急車が到着するまでマッサージを行いましたが、約20分後に
到着した救急隊員が対応した所、既に心臓が停止しているとの事。

 

自宅で亡くなった場合、警察(刑事)が事情聴取にやってきます。
ここで初めて『刑事って実際にいるんだ。』と思いました。
同じ事を何回か聞かれますが、これは話に食い違いがないか、
事件性がないか調べるためなのでしょう。
僕は意外に冷静だったと思いますね。

 

母親は、警察まで運ばれます。
検死なのでしょう。
翌日医師が死因を調べるとの事した。

 

僕には埼玉に住んでいる姉がいるので、連絡します。
翌朝にこちら(新潟)まで車飛ばして来るとの事。
(旦那さんや娘2人も一緒)
あと、主だった親戚にも連絡入れました。
葬祭サービスグループにも連絡。(さすがに24時間OKなんですね)

 

この時点での一番の不安は、「お金」でした。
生前の母親の希望でもありましたが、家族葬とはいえ金がかかるだろう、と。
母は生命保険に加入はしていましたが、すぐにお金が入るのか?とか。
また、母は葬祭サービスグループの会員でしたが、
どのくらい割引されるんだろう?とか。
あと、今後母親の年金は入らなくなるだろうから、僕の給料だけで
生活をやって行けるか?と。

 


次の日(9日)になり、朝イチで郵便局に行って僕の定期預金から
とりあえず20万円くらい引き出しました。

 

通夜と葬式の時の神官を探すのですが、これが運が良い事に
毎年僕の自宅のお祓いをしてくれている神官に2つ返事でOKを頂きました。
(これは大いに助かったです)

 

姉が到着したので、警察署に母親の遺体を引き取りに行きます。
警察署では、刑事ドラマの取調室のような部屋で死因を知らされます。

 

慢性心不全でした。
死因を調べて頂いた医師にお金を払う必要があり、これが33000円。
正直、『高いよ!』と思いましたが、仕方ないのかなぁ・・・
これは即日で払わなくてはいけませんので払いました。
また、その医師の医院まで行って死亡診断書を受け取りました。

 

葬儀会社と一緒に母親を引き取り、自宅へ戻ります。
先ほどの神官に連絡し、自宅へ来て頂いて、お祓いをして頂いた後、
通夜と葬式の打合せ。
日にちと時間は当然ですが、来るであろう人数とか、花はどうするとか、
料理(直会)はどうする、等々。
あと、うちは神道なので、神官から『祭壇はこういう風にしてくれ』、とか。

 

通夜・葬儀が終わって神官に渡す費用なのですが、思い切って聞いてみたら、
なんと相場の3分の一でいい、との返答を頂きました。
やはり年一回とはいえ、付き合いをしていて良かったと思いましたね。
この時点で神官に一回目の御礼を渡したと思います。

 


次の日(10日)は、自宅からセレモニーホールに母親を運びまして、
多少の打合せの後、控え室で母親の身体を綺麗にし、化粧まで行った後、
納棺を行いました。
通夜と葬式には参列しないものの、顔を見に親戚が来てくれました。
明日明後日の本番に備え、僕達は自宅へ戻ります。

 


通夜の日(11日)。
控え室で午前中に最終打合せ。
葬儀会場の最終下見を行いました。
ここまでは全てTシャツ&短パンの私服で大丈夫でした。

 

ここで僕は大チョンボに気づきます。
つい、黒の革靴ではない靴を履いてきてしまいました。
自宅に戻る時間も無いし、まぁ濃紺だからいいか、と諦めました。

 

礼服に着替え(時期が時期なので、とにかく暑い!)、通夜本番です。
一時間半くらいだったと思います。

 

夜は自宅に戻る事は出来ないので、僕と姉はセレモニーホールに宿泊。
正直、僕と姉は何年か前に父親が亡くなった後から仲が悪くなってたのですが、
久しぶりに(というか初めて?)2人きりで話をしました。

 

なお、控え室にある飲食物は何でも食べていいし、持って帰っても良いとの事。
風呂もマッサージチェアも利用できます。

 


葬式の日(12日)。
午前中に式なのですが、なんと式の直前に火災報知器の誤動作があり、
式が始まっても途中で警告音が鳴り響いているというハプニングがありました。
『この後、焼かれるのを嫌がってるんじゃないの?』とか言ったりして。
葬式は一時間くらいだったかなぁ。
終わってから花を棺の中に入れます。
ここで僕は泣いてしまうかなぁ、と思っていたけど、泣かなかったですね。

 

出棺となり、霊柩車で自宅や近所やお世話になった店の前を通った後、火葬場へ。
いよいよ母親は焼かれる訳ですが、
ここまで泣かなかった僕もさすがに嗚咽&号泣してしまいました。

 

焼かれてる間は、コロナ禍の為に火葬場で待つ事ができないので、
自宅へ戻って連絡を待ちます。
一時間半後くらいに連絡があり、再び火葬場に行き、お骨拾いを行い、
骨桶を持って自宅へ帰ります。

 

葬儀会社と神官に連絡し、自宅で最後の式(お祓い)を行いました。
ここでもハプニングで、自宅の横を竿屋の車が通り、
『竿屋~、竿竹~』の声が遠くに聞こえてる中のお祓い式でした。
神官と挨拶話をした後に、直会料と御礼のお金を渡しまして、
これで全て終了です。

 

 

現在、遺骨は自宅にある状態です。
今後五十日祭(49日)か一年祭(一回忌)の時に、父親の眠るお墓に入れる事になります。


総評というのもおかしいし、まとめという訳ではないですが、
助かった事と、反省点を書くならば、

●一人っ子でなく、姉がいて良かった。(姉夫婦には感謝です)

●母が冠婚葬祭サービスグループの会員で良かった。(今後は僕が引き継ぎます)

●多少なりとも僕自身に貯金(預金)があって良かった。

●神官と日頃から付き合いがあり、神官ご自身が素晴らしい方で良かった。

●母の日頃の状態(体調)を、もっと気にしておくべきだった。

●親戚や母の友人の連絡先や近所付き合いや通院等を、もっと知っておくべき。

●通帳・印鑑・生命保険の証書の在処、借金はないか?などを知っておくべき。


もちろん、母に心配や苦労をかけないようにしておくべきだった、は入っています。

 


まぁ、これから(既に)様々な手続きやらで大変です。
家の掃除や整理もあるし。
元々近所付き合いとか苦手なので、お参りに来た方にどう対応すればいいか?とか。
今朝も朝の4時過ぎに目が覚めてしまいました。
なんとか倒れない程度にやって行こうと思います。

 

毎日の食事は僕自身で作る事になりますが。これは案外楽しみだったりします。
人生初の味噌汁作り(茄子、人参、茸、豆腐)は、僕としては大成功でした。
ただ、これが毎日だと大変だと思いますけど、ちょっとでも楽しみを見つけないと。
塞ぎこんでは駄目だと思いますね。

 

14日にダウンロードジャパン2022が幕張メッセで開催予定で、僕も観る予定でしたが、
賞与があまりにも少なかったので断念した矢先の出来事だったので、
どっちにしろ今回は行けなかったという事ですね。


長々と読んで頂き、ありがとうございました。

摩訶レコード:デカ長ブルース

今回は新田圭次の「デカ長ブルース」。

 

1958年から朝日放送で放送されていた、関西ローカルの
刑事ドラマシリーズ「部長刑事」。
その「部長刑事」で新田圭次刑事役だった楠年明さんが
歌っています。
まぁ、ありがちですね。
実際にドラマ内で流れてたのかは不明です。

 

レコードがリリースされたのは1980年。
作詞は楠さんご本人で、作曲:しばゆきお、編曲:森山達也

 

聴いてみましたが、1980年リリースの割りには
ギターやオルガンなどの音作りが70年代前半的な感じを受けました。

 

歌詞は、昭和の刑事ドラマの世界って具合ですね。

 

ホシを求めて張り込むオレに 屋台のあかりがなつかしい

酒に酔わせて聞き込むオレに 落とした肩が震えてた

 

とか。

 

シバックスレコード、という、僕としては聞きなれないレーベルから
リリースされています。
もしかすると、作曲のしばゆきおさんと何らかの関係があるのかも。

 

あと、色々調べていてちょっと面白かったのが、
楠さんの奥さんで女優でもある絵沢萠子さんが、
スナック「きぜつ」を経営している、という点でした。

摩訶レコード:カバのバカンス

今回は、としのはじめという方の「カバのバカンス」。

 

なんか、小学校の先生が体育の授業中って感じのいでたち。
時代的に、時には暴力も厭わないって信念も感じます。

 

やはりというか、としのさんの情報は何も得られません。

 

1983年のリリース。
「あなたの妻に」という曲のB面です。

作詞:山田孝雄、作曲:うすいてつお、編曲:斎藤恒夫。

 

売り出し方として、吉幾三さん的な線を狙ったのかなぁ?
でも、吉さんがご自身で作詞や作曲をなさったのに対して、
としのさんは歌うだけですから、よく判りませんね。

 

コミックソングと言えばそれまでですが、最高級の褒め方をすれば
プログレ歌謡コミック」という事になるのでしょうか。
こういうの、最近は僕もちょっと判らなくなってきて、
例えば何も知らない外人さんがコレを聞いた時に、
『ワオ!なんてプログレな曲なんだ!』と思う事が、もしかしてあるのか?と。

 

歌詞はダジャレ・おやじギャグを散りばめたもので、
当時はどうだったのか、もはや知る由もないですが、
お笑いレベルが上がった現在では決して「おもしろい」と思うものではないかな。

 

Youtubeに上げてみようかと思ったら、松原愛さんという方が既に上げています。
(歌手・女優で、結構活躍している方)
松原さんの旦那様が、作詞をされた山田さんである事からでしょうね。
この曲に関して解説もされているので、興味ある方はどうぞ。

摩訶サブタイ

今回は趣向を変えて、「摩訶なサブタイ」というテーマです。

 

現在はそうでも無くなったかもですが、70年代から90年代にかけては
ドラマや時代劇や特撮ものに関して、摩訶なサブタイ(副題)が多かったように
思えます。

 

今回はそれを集めてみました。
探せばもっとあるでしょうが、とりあえず一部のみ。

 

 

ウルトラマンタロウ
「タロウの首~」は初見の時にショック受けたなぁ。



 

必殺仕事人。
放送当時の流行りものを取り入れるシリーズがありましたね。

 



仮面ライダーX?



 

ウルトラマンA?
あははは、やばいだろw
お父さんお母さんが妙に目逸らしたりして。

 

 


暴れん坊将軍より。
こればかりは上様でもどうしようもないですよね。

 

 

 

シャンゼリオン?とかいう特撮ものらしいですが、
評判良かったのか、なぜか2作目まで作っちゃったという悪ノリ。

 



土曜ワイド劇場だったかな?
「痴漢~」は、まぁ、最近ではありがちですね。

 

 

 

以上です。

 

摩訶レコード:GoGoドラゴン

今回もプロレスもの。
藤波辰巳さんの「GoGoドラゴン」です。

 

ご存知「マッチョドラゴン」は、歌い手・ジャケット・内容(歌唱)の全てが完璧な
歴史的摩訶レコードですが、藤波さんはそれ以外にもレコードを出されています。
1981年のリリースなので、「マッチョ~」よりも4年も早いのです。

 

ジャケットは「マッチョ~」と比べると、まともで恰好いいです。
まだギリでジュニアヘビー時代の藤波さんでしょうか。

 

作詞作曲:山本正之、編曲:高田弘。
山本さんは数多くのアニメ主題歌などを手掛けていて、ファンも多い有名な方ですね。
この曲でも山本節はバッキリ出ていると思います。

 

なつかしの倍賞鉄雄リングアナの選手紹介と、ちびっこの『がんばれ~!』という
声援が曲前に入っています。
「マッチョ~」と比べて影が薄いのは、藤波さんがソロで歌ってないからでしょうか。
一緒に歌っているのはバックバンドなのかなぁ?
バックに引っ張られた藤波さんの歌唱は、『あれ?結構まともかな』とも思いますが、
それはソロパートの『っほのおの ひりゅぅう~』になるとひっくり返ります。

 

ヒロイックな歌詞と曲調なので、これはこれで摩訶かと思いますね。
インストバージョンが、実際に試合で入場曲に使われたようです。

 

Youtubeに上げようかと思ったら、既にどなたかがアップされていました。
なのでB面の「戦いの後で」をアップしてみます。

www.youtube.com

 

これは藤波さんのソロ歌唱で、作詞作曲編曲は「GoGo~」と同じメンツ。
なんと無謀かと思えるバラード曲で、藤波さん、開き直ったかとも思えますが、
朴訥な感じと昭和アニメのエンディングテーマのような郷愁があって、
リングでのファイトスタイルと同じく、藤波歌唱の懐の深さを感じますね。